2014年01月19日

もしも、、、。

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 音楽文化が、メディアが出来上がり、いろいろな形で、距離の離れた場所にいる人達に伝わる様になったのは、ここ百年弱ということになると思うのですが、無論それまででも、楽譜という物を使って、曲が船に乗って海を越えるということは、ある程度可能だったかもしれませんが、その時代に、文明諸国の音楽を演奏する楽器と、演奏者が、遠くは慣れた大陸にあった(居た)か、、?ということは、疑問がありますよね、、、。

 そこへ行くと、食物の世界では、音楽の何百年も前から、文化交流、、? とは言えないにしろ、作物が運ばれて、人々に触れられていたという事を昨日書きました、、、。 音楽を聞かない人はいるが、食事をしない人は居ない、、、。 音楽を聞かない日はあっても、ほとんどの場合食事をしない日は無い、、。  この事実は、音楽文化がある意味、好事家によってのみ演奏されたり、鑑賞されてきたというのと比べて随分事情が違います。

 ここであまり意味が無いかも知れませんが、音楽もメディアが無い時代に、もっと輸入されていたとしたら、アフリカの音楽は確実に、ヨーロッパの音楽に強い影響を与えていたに違いありません。 おそらくは、今も存在するいわゆる民族楽器をつかったアフリカの音楽とほとんどかわらないモノが、4〜500年いやもっと前から存在していたのだと思います。

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 1800年代に何度か催されている、パリの万国博覧会に、日本は浮世絵などを出品していて、これらは印象派の美術作家に決定的な影響を与えたということは、とても有名な話ですが、もしそこに日本の純邦楽や、能楽が出品されていたら、、、ということを想像すると、これはかなりエキサイティングなことだと思うのですが、どうでしょうか?。 

 実際のところ、インドネシアからは、ガムランの演奏が来ていて、ドビュッシーやラベルに、とても大きな影響を与えたと言われています。 当時の不便な交通手段で、東洋の小国日本から、歌舞伎より所帯が小さいとはいえ、能楽の四拍子や、シテ方が船に乗って、渡欧することは、並大抵のことではなかったとは、思うのですが、もし日本の音楽が当時のヨーロッパに届いていたら、美術の世界以上に、決定的な影響を、ヨーロッパの音楽界に与えていたでしょうし、後の西洋音楽、現代音楽に限らず、ロックやジャズにいたる現在の世界にたくさんある音楽やバレーなどの舞踏の世界にまで、少なからず、影響を与えていたでしょう、、。

 でも実際には、島国日本はその島国たるところを乗り越えることなく、現在にいたっているというところなんですよね、、。メディアが発達した現代でも、音楽に関しては、まだまだ受動的な立場を強く感じる、、世界の流行を追ったり、まねるという姿勢を免れていないきがします。 あのとき、壁を乗り越えていれば、、。 まあ、もしもの話なんですが、、、(´Д` )、、。


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posted by えんこみ at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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