2013年04月08日

孤独な戦い 

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 今日(4月7日)は寒かったですね。暖かくなってきて、その後、「寒の戻り」というのは大げさかも知れませんが、寒くなると、寂しい気持ちになりますね。
 何かの電気製品を使っていて、急に電池が切れたような、「喪失感」をもちます。

 きのうのブログに書いた高木元輝氏の話。
 
 彼は、好事家のあいだでは認められていたとはいえ、あれほどの音楽性を持ちながら、それに見合った活動の場は、あまり持てなかったのではないかと思います。
 
 素晴らしい演奏をしても、そこに聴衆が少なかったり(あるいは居なかったり)、ふさわしい反応が得られなかった時、音楽家は「喪失感」を持つものだと思います。

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 私、エンジニア小宮山英一郎は、直接何かを表現する訳では無く、音楽を記録したり、それらを音源として成立させる為の作業をしているのですが、演奏家にしろ、プロデュースにしろ、エンジニアリングにしろ、その仕事の結果の、「受け手」が居てはじめて、その仕事が成立するわけです。
 
 膨大な数の音源があったとしても、それを聴く人がいなければ、それは存在しないことと同じです。

 ジャズの世界では誰でも知っている「チャリー・パーカ−」を例にとってみると、彼の生の演奏を聴いた人は、現在存命の人達の中にはもうほとんど居ないと思います。

 幸いな事に、短命であったにも関わらず、かなりの量の音源がのこされており、それから興された楽譜も多数存在しています。
 
 それらの「記録」によって、私たちは彼の偉業を知ることができ、音楽を楽しみ、豊かな生活をおくることができるのだと思います。
 
 運良く、より良い形=良い音質=音楽的に優れた、「記録」が残っていれば、その音楽家の価値、存在意義が、たとえ本人がこの世から居なくなってからでも、認められる日が来る事も、あるのかもしれません。
 
 クラシック音楽の世界でも、数百年まえの音楽家が、楽譜を書き記していなければ、録音メディアの無い時代、けして我々は彼らの音楽を聴く事はできなかったはずです。
 記録が残っていれば、国を越え、時空を越え、人間の生きた証は残り、後世に伝わります。
 
 きょうはまた、むずかしい、重い話になってしまいましたが、、。

 時代を越え、残ってゆける作品をつくるのは、並大抵のことではないことしょう。それはいつも、虚しい徒労に終わる危険との、背中合わせの行為なのかもしれません。
 私はいつも、「音楽作品」の送り手としての意識をもちながら、デフレランチを食べたり、写真を撮ったりして、人生を「喪失感」の少ないものとして過ごす為にはどうしたら良いか、考えながら、日々暮らしているんですよ 、、、なんてね (^_^;)、、、 。

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posted by えんこみ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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